第22シーズン | 6月27日 • 13:11
Frozen Cherry アイスホッケーについて

クリエイター紹介

Frozen Cherry
アイスホッケーを
私が制作した
理由

1980年代のカナダで育った私にとって、アイスホッケーは愛さずにはいられないものでした。近所の学校にあった屋外のホッケーリンクで、冷たく澄んだ冬の空気の中、過ごした日々や、家族みんなでテレビの前に集まり、その時代の偉大な選手たちのプレーを見た夜のことを覚えています。父は高校時代、通っていた学校のアイスホッケーチームでプレーしていました。叔父もそうでした。アイスホッケーは、間違いなく、毎年秋になると心待ちにしていたスポーツでした。

1990年代初めには、家庭用ゲーム機やパソコンを通じてビデオゲームの人気が年々高まり、新たに生まれつつあったインタラクティブな物語表現が、私の想像力を強くとらえました。1994年、初めてのパソコンは両親からのクリスマスプレゼントでした。その数か月後、学校で知り合った友人にプログラミングの手ほどきを受け、初めてQBASICでプログラムを書きました。

私の初めてのパソコンは486 66MHzで、RAMは8MB、ハードディスクは540MB、14.4kbpsのモデム付き。MS-DOS 6.22とWindows 3.11が動いていました

1995年、私の町にもインターネットがやって来ました。Netscape Navigator 1.0というブラウザを使えば、ほんの数回キーを打つだけで、広大な情報の世界が目の前に広がるようになりました。ほどなくしてHTMLを学び、初めてのWebページを作りました。それと同じ時期にCも学び、その後1997年にはJavaScriptも学びました。また、JASC Paint Shop Proで絵を描いたり、Caligari TrueSpaceで3Dモデリングをしたりすることにも多くの時間を費やし、その後のキャリアを通じて使うことになる技術を身につけていきました。

1999年8月、私は、架空のチーム、架空の選手、シーズンをまたいだ継続性、そしてゲーム世界を自動で管理するシミュレーターを備えた、オンラインのホッケーチーム運営ゲームを探していました。架空の世界が重要だったのは、実在のチームや選手をもとにしたゲームでは、それらのリーグを追っている人が不公平に有利になってしまうからです。シーズンをまたいだ継続性が重要だったのは、選手編成の判断は、スポーツにつきものの浮き沈みの中で結果として表れていくべきだからです。サーバー上で動作するシミュレーターが重要だったのは、ゲームマスターが別のオフラインシミュレーターの結果をもとにウェブサイトを手作業で更新しなければならない場合、そうしたゲーム世界を最新の状態に保つには手間がかかり、その規模も自然と制限され、たいていは1つのリーグにとどまってしまうからです。

探していたものが見つからなかったので、自分で作ることにしました。

最初に書いたのは、シミュレーターのコードでした。このゲームは最初16チームで始まり、すぐに3つのリーグ、36チームにまで広がりました。インターネットの片隅に、私たちの小さなコミュニティが生まれました。公式フォーラムでは、私たちは自分たちのチームのGMになりきり、みんなで楽しんだ創作ストーリーを紡いでいました。何人かの仲間と親しくなり、ホッケーやコンピューター、音楽、学校のこと、そして人生のことを話していたのを覚えています。あの日々のことは、決して忘れません。

そして、大学に進学しました。ホッケーゲームの制作に取り組めるのは、空いた時間だけでした。その後の年月の中で、仕事にも人生にもいろいろありました。デザインとプログラミングの腕を磨き続け、やがて大型トレーラーのハンドルを握り、アメリカの美しい田園風景の中を走りながら貨物を運ぶようになりました。

運転を仕事にしていると、考える時間がたくさんあります。自然と、Frozen Cherry アイスホッケーのことをたくさん考えました。情報設計やユーザー体験から、ゲームシステム、システムアーキテクチャ、新しいシミュレーター、そしてFrozen Cherryとは何であり、何ではないのかという哲学まで、あらゆることを詳しく書いたメモは200ページを超えました。それが、今日ご覧いただいているFrozen Cherry アイスホッケーへとつながりました。

Frozen Cherry アイスホッケーの一員でいてくださり、ありがとうございます。皆さんの支えは、私にとって大きな意味があります。